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更新日:2011年10月17日
女性活動のリーダー
深津はんは明治37年(1904年)11月15日、榛原郡小夜鹿(現島田市)に生まれました。
はんは師範学校卒業後、訓導(教諭)として幼童教育に携わりました。結婚を期に退職し、夫深津隆一郎の勤務地東京に居住しましたが、数年を経て河城村倉沢に一家で帰り、農業に従事しました。
当時深津家は牧之原台地の一角に広い茶園を所有し、荒茶工場も操業していました。お茶最盛期の忙しさは相当なもので、慣れない仕事に苦労したことでしょう。
昭和30年、河城村が菊川町へ合併するまでは、河城村初の女性村会議員として、村政全般にわたり女性特有のしなやかな思想と幅広い視野をもって活躍しました。特に合併に関する諸案件の審議は難題を抱え、深夜に及ぶことも多々ありました。男性に肩を並べての活動は、精神的にも体力的にも厳しいものであったと推測されます。それにもめげず終始冷静な対応をなし得たのは、彼女がいかに優れた人格の持ち主であったかが伺われます。女性の社会進出が叫ばれている時代であり、はんは常に婦人組織、女性活動のリーダーとして先頭に立ち活動してきました。
河城村が菊川町に合併してからは、昭和30年10月1日より菊川町教育委員に就任し、委員長職務代理者として教育行政に寄与しました。また、社会福祉にも造詣が深く、昭和49年12月1日より2期6年間民生児童委員を勤め、社会の歪みにも目を向けながら弱い者の立場に立った生活安定の道を開いてきました。
卓越した見識と冷静な判断力、加えて粘り強い取り組みで多くの人に感銘を与えてきたはんは、平成16年1月5日数え年100歳の天寿を全うし帰らぬ人となりました。
(出典:菊川町50周年記念誌「みのり」)
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