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更新日:2011年4月4日

落合茂三郎

生葉流通に生涯をかけ小笠茶産地の名声を高めた人

落合茂三郎は、明治32年六郷村上本所に落合治右衛門の長男として生まれました。
父が生葉の買付を業としていたため、茂三郎は幼少のころから父親に付いて修行しました。20歳になったとき、茂三郎は父の後を継ぎ、大八車と茶籠と棹秤で生葉を農家から買い、荒茶製造工場へ販売する仕事に就きました。小さいころから父の後について修行し、商売のこつを心得ていた茂三郎は、大きな構想をもっていました。それは毎年の茶の生育状況をいち早く察知し、生産過剰地の製造業者による「タタキ買い」を防ぎ、一方不足する所へは素早く生葉を送り、古くなった生葉を揉むようなことを無くすことでした。それにより茶工場では常に新鮮な原葉(生葉)で昼夜操業を可能とし、より良質な製茶を市場に出すことで、小笠茶の市場価値を高められるのではないかと考えていたのです。
構想実現のため茂三郎は東奔西走します。県西部の茶産地の至る所に集荷所を設け、盛期には従業員だけでも100人に達し、生葉仲買業「モ」として県下に名を馳せました。
茂三郎の構想はこうして着々と実現し、生葉の買付は周辺郡町村はおろか、東は富士周辺、西は豊橋や伊良湖岬まで行き、すべて現金商いで近隣の茶工場へ供給しました。こうしてモ最盛期には1日の取り扱い量が六万貫(24万kg)にも達したと言われています。
茶畑から製茶工場へ新鮮な生葉をいかに早く、そして広範囲に運ぶかという命題を見事に克服することにより、小笠地域はいうに及ばず県西部一帯の茶業振興発展に尽くした茂三郎の功績ははかりしれません。


※重量を計る器具

(出典:菊川町50周年記念誌「みのり」)

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部署名:菊川市総務部市長公室

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