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更新日:2009年11月1日

鈴木哲太郎

横地城の整備保存に心血を注いだ人

鈴木哲太郎は東横地に生まれ、幼少にして父を失い家業の農業を継ぎました。哲太郎の家の裏山一帯は、鎌倉時代から室町時代に勝間田氏などと共に活躍した横地氏の城跡が広がっていました。ところが、平坦地は開墾されて茶畑になったり、南斜面にはみかんが植えられたりし、山上は大木が生い茂り、谷間は倒木や流水で荒れ果て、見るも無残な姿でした。人の話では、ここに横地氏の本拠地があったそうだと噂されていましたが確証がなく、長い間「幻の城」といわれてきました。

哲太郎は早くから城跡の保存整備に献身的な努力を払うと共に、史跡に対する関心の啓発になみなみならぬ努力を注ぎました。第二次大戦後世情が安定期に入って間もなく、有志とはかって「横地城跡保存会」を結成し、自ら会長として城跡一帯の区画の調査整備を行いました。同時に、平安時代末期の横地氏発祥以来、15代にわたる地方豪族の盛衰や中世武士団の存在についても、旺盛な研究心をもって史実の研究にあたりました。

このような調査研究のもと、横地城跡は昭和44年県文化財の指定を受け、次いで周辺50ヘクタールを含め、御前崎とあわせて県立自然公園として指定されました。あの荒れ山を今日、国指定史跡(平成16年、高田大屋敷遺跡とあわせ「菊川城館遺跡群」として指定)とまで高めた功績は、まさに哲太郎の生涯をかけた尽力によるものといっても過言ではないでしょう。

(出典:菊川町50周年記念誌「みのり」)

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部署名:菊川市総務部市長公室

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