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更新日:2009年11月1日
二人の友人と共に日本で初めての新聞を発行
本間清雄は、天保14年(1843年)、石原(平川地区)に生まれました。
21歳の時に横浜に出かけ、ジョセフ・ヒコが始めた「海外新聞」に参加しました。この新聞は米英の新聞から日本に関係のあるニュースを翻訳したものや横浜港で取引されている物品の価格を掲載していました。清雄は、ジョセフ・ヒコが口述した内容を岸田吟香(きしだぎんこう)と共に記事にする作業をしました。
この新聞では、日本で始めて聖書の一部が翻訳されたものが掲載されました。これは、明治6年にキリスト教禁制の高札が撤廃される前のでき事です。また、この翻訳の影響で後にキリスト教に帰依することになります。
その後、外務省へ出仕します。オーストリアの代理公使在任時には法学者シュタインと日本とをつなぎ、大日本帝国憲法の策定作業に貢献しました。
また、キリスト教に帰依し、教会の事務を無給で勤める等、近代日本における伝道活動を支える業績も残しています。
(出典:小笠町社会科副読本「わたしたちの小笠町」)
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