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更新日:2009年11月1日

落合藤八

旭可鍛鉄株式会社創設

落合藤八は明治22年5月28日、六郷村上本所に落合伊太郎の次男として生まれました。

明治42年、20歳に達した藤八は志を立てて単身上京し、東京小石川の陸軍砲兵工廠に就職しました。ここで鋳造に深い関心を抱くようになった藤八は、技術に関する知識の不足を痛感し、明治44年9月私立東京工科学校予備科に入学、一から出直しを図ったのです。

大正5年、父の指導後見のもと、兄が販売して好評の製茶用火炉工場の建設に取りかかりました。こうして六郷村本所の借地に旭鋳物工場が産声を上げました。

大正末期から昭和初年ごろの転換期、会社は製品製造の上でも資金調達の上からも非常に苦しい時期でしたが、藤八は弱音を吐くことなく研究に打ち込み、あるいは各地を飛び回って販路開拓に腐心し、さまざまな試行錯誤を重ねた末、昭和4年4月碍子金具の製造により、ようやく可鍛鋳鉄を主力とする工場経営の自信を得て、これまでの旭鋳物工場を「旭可鍛鋳工所」と改称したのです。その後、昭和6年には製品を可鍛鉄一本に切り替え、工場も拡張に次ぐ拡張を重ねていきました。こうして成長を遂げた会社は従業員150人を数えるほどになり、昭和13年には新工場を菊川駅北側に新築して、現在の旭テック(株)の前身の誕生となりました。戦争前の厳しい統制下、戦争中の軍需品の生産など過酷な時代を社長以下一丸となって乗り越えてきたのですが、藤八は戦時下の昭和19年1月逝去しました。

(出典:菊川町50周年記念誌「みのり」)

 

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部署名:菊川市総務部市長公室

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