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更新日:2021年3月24日

東京オリンピック日本代表選手を紹介します

今年の夏に開催予定の東京2020オリンピック。金メダルが期待される種目として注目されているのが、3大会ぶりに正式種目に復帰した女子ソフトボールです。夢の大舞台での活躍を目指しているメンバーの中には、菊川市ゆかりの選手がいます。それが、渥美万奈選手と山崎早紀選手の常葉菊川コンビ。広報菊川は、オリンピックに向けて頑張る2人を応援します。

3月23日(火曜日)渥美万奈選手・山崎早紀選手、五輪代表選出おめでとうございます!

常葉大学附属菊川高校の卒業生で、トヨタ自動車所属の渥美万奈選手と山崎早紀選手が、東京オリンピックに出場するソフトボール女子日本代表に選出されました。おめでとうございます!大会での活躍を、楽しみにしています。

8月17日(木曜日)広報菊川8月号を発行しました

特集ページに、渥美選手と山崎選手のインタビューを掲載しています。

コロナ禍での心境やオリンピックへの意気込み、中高生アスリートや市民へのメッセージなど、2人から熱い思いが語られています。

ぜひご覧ください。(広報菊川8月号は、こちらからご覧ください。)

広報菊川202008_1 広報菊川202008_3 広報菊川202008_2

7月10日(金曜日)渥美選手と山崎選手にインタビューしました

渥美選手と山崎選手広報菊川8月号に特集記事を掲載するため、愛知県豊田市のトヨタスポーツセンターを訪ね、常葉学園菊川高校(現:常葉大学附属菊川高校)出身でトヨタ自動車女子ソフトボール部に所属する渥美万奈選手(写真右)と山崎早紀選手(写真左)に取材させていただきました。深蒸し菊川茶も喜んでいただけました。

このページでは、広報菊川8月号に入りきらなかったインタビューの内容をお伝えします。

広報菊川8月号は、こちらからご覧ください

学生時代を振り返る[渥美選手]

渥美選手1常葉菊川高校へ進学した理由

別の中学校に通っていた1つ年上の栗田さんという先輩の影響です。まだ、栗田さんのことをよく知らなかった頃に、栗田さんから手紙をもらいました。手紙には、「自分は常葉に行きます。あなたと一緒にプレーしたい」。そのような内容が書いてありました。後日、栗田さんのプレーを見て、一緒にやってみたいと思い、友人を誘って、常葉菊川高校に進学しました。

高校時代の思い出

楽しかったです。練習は厳しかったけど、仲間がたくさんいました。試合では良い思い出があまりありません。成績は良かったと思いますが、負けた悔しい思い出が今でもあります。

学生時代のことで役に立ったこと

仲間を大事にすることです。今でも高校時代の仲間とLINEグループで話しています。友だちはとても大事ですね。

 

山崎選手から見た渥美選手の印象は?

[山崎選手]1年生と3年生だったので、「この人がキャプテンか」とは思いましたが、あまり話す機会がなく、そのうちに3年生が引退してしまいました。通常、3年生は引退すると練習に来なくなりますが、渥美さんは時々来てくれました。

[渥美選手]3年になった時、大学に進学してソフトボールはやめるつもりでした。「ソフトボールをやり切った」というよりは、教師になってスポーツ指導者になろうと思っていたからです。しかし、7月にトヨタ自動車から入団の話をもらったのをきっかけに、チャンスがあるなら挑戦してみようかなと思いました。それから練習に再び行くようになりました。

 

学生時代を振り返る[山崎選手]

山崎選手2常葉菊川高校へ進学した理由

私も常葉に入るきっかけは栗田さんでした。常葉菊川高校が強い時代で、姉が常葉菊川高校に在学していたこともあり、常葉菊川高校へ進学しました。

高校時代の思い出

自分は人数が少ない世代で、環境が限られていたため、渥美さんをはじめとする多くの先輩たちに手伝ってもらっていました。部員が足りない部分を周りの人に支えてもらっていました。普通科で3年間過ごし、他の運動部の子とよく話して、お互いに頑張ろうとか、励まし合っていました。

トヨタ自動車の入団理由

元々、実業団に入りたいと思っていました。別の会社に行こうと思っていましたが、トヨタ自動車から話があり、渥美さんもいるので心強いと思い入団しました。

 

山崎選手の入団秘話

[渥美選手]監督から、「常葉菊川高校の山崎を取ろうと思うがどう思う?」と聞かれ、「肩が強いです。プロの世界でも通用すると思います」と答えました。当時は、キャッチャーで取らないのはもったいないと思いました。

[山崎選手]外野の経験は初めてではありませんでしたが、高校まではキャッチャーだったので苦労しました。

[渥美選手]自分もさまざまなポジションを経験しました。ポジションが上手な選手と被った時は、自分がファーストやセカンドに回りました。

 

日頃のプレーで心掛けていること

[渥美選手]楽しくプレーすることです。プレー中、私は無意識のうちに無表情になっていることが多いので、最近は笑顔でやるように心掛けています。無表情で守備をしていると、周りの人が不安になってしまうらしく、対戦相手からも「何を考えているか読めない」と言われます。

[山崎選手]私は反対に、気持ちが顔に表れてしまうので、焦りや不安が対戦相手にばれやすいです。表情に出さないように気を付けています。

 

思い出の品

渥美選手03[渥美選手]2年生の時に、自分が出て優勝した県大会の写真です。ずっと家にあります。指を3本立てているのは、新人戦で3連覇した年だからだったと思います。

 

[山崎選手]3年生の時に後輩からもらった手作りのアルバムです。卒業するときにサプライズで後輩から受け取りました。もらった時には涙が出ました。これを持ってトヨタ自動車に入りました。今でも最初のページを見返すと込み上げるものがあります。最初のページは、最後の大会の写真で、試合前後だったと思います。私の代は、最後のページの4人だけでした。山崎選手03

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部署名:菊川市総務部市長公室

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