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更新日:2019年2月27日

帯金治作

茶産地菊川の基礎を築いた努力の人

帯金治作は安政2年(1855年)、加茂村で生まれました。27歳のとき、家督を相続して家業の農業に従事。その傍ら、明治17年(1884年)※1戸長役場ができたとき、県から※2用係に任ぜられて農業や工業を振興する事務を取り扱いました。
明治22年(1889年)、新しい地方自治制度となってからは、旧加茂村の村会議員として村政に参画。農家の基幹作物として稲作のほかお茶の栽培を奨励しました。お茶は単に生茶を出荷するだけでなく、製茶そして共同販売することの有利さに目をつけ、自らも「得信製茶販売組合」を設立し、専業主任となって運営に精魂を傾けました。
当時は富国強兵の国策のもとお茶の輸出も大いに奨励されました。そのため、治作は度々横浜まで出かけて輸出の商談をまとめたり、茶産地を宣伝したりして努力を重ねました。こうした活動により、茶業指導者としての地位も高まり、小笠榛原茶業研究会の委員や小笠郡茶業組合連合会の役員にも就任し、茶業発展のため幅広く活躍しました。
明治33年(1900年)には加茂村助役、4年後には村長となって行政を担当しながら得信製茶販売組合の理事長も兼ね、茶の栽培から製造、共同販売まで自ら中心となって進めました。そうした多忙な中でも、特に後継者の育成に力を注ぎ、現在の東遠地域の茶産地としての基盤を作りました。村長を勇退してからも自園自製の茶農家として精力的に働きました。
大正2年(1913年)には報知新聞(読売新聞の前身)に治作の勉強ぶり、仕事ぶりが掲載されるなど治作の名は広く天下に知れ渡りました。
※1戸長役場(現在の町村役場の前身)※2用係(戸長の仕事を手伝う職員)
(出典:菊川町50周年記念誌)

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