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更新日:2009年11月1日
渡辺崋山研究の第一人者
「私が勤めている常葉美術館は菊川町の高田ヶ丘の一角に建っている・・・」菅沼貞三は、昭和59年11月2日静岡新聞夕刊「窓辺」の第1回をこのように書き出しています。昭和51年に18年間も住み慣れた東京を引き上げ、郷里の菊川に居を移していた貞三は、53年に常葉菊川美術館名誉館長を委嘱されて、勤務をしていた関係で冒頭のような書き出しとなったのでしょう。
貞三といえば、渡辺崋山の研究家として自他共に認めるわが国の第一人者です。昭和5年、黒田記念館付属の美術研究所が文部省に移管されたのを機に、正式に入所して資料部閲覧係の仕事に就きます。この研究所で先輩に随行し様々な美術品を鑑賞する機会を得、その過程で渡辺崋山の作品と出会いました。そして崋山の初期作品を徹底的に調査研究し、新発見の真作20点を一堂に集めて「崋山の肖像画展」を開き、参会した東京美術学校長や多くの美術愛好家から絶賛を浴びたのです。
戦前戦中を通じ勤めていた文部省美術研究所を退職してからは、県立小笠農業高校講師、静岡大学教育学部非常勤講師などを経て昭和35年、渡辺崋山を中心とした近世絵画の研究により博士号を受け、36年に慶應義塾大学助教授、翌37年には教授となり、さらに大学院の学科を担当して本来の学究生活に打ち込みました。
(出典:菊川町50周年記念誌「みのり」)
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