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更新日:2009年11月1日
落合刃物工業株式会社創設
河城村西富田の茶農家に生まれた落合信平は、大正3年河城尋常高等小学校高等科を卒業し、5月に内田刃物工場へ入所しました。信平の刃物との格闘の歴史はここから始まりました。茶刈り鋏を手掛けたのは大正4年から5年頃が最初のようですが、袋付鋏30丁を作り注文先へ届けたところ大変喜んで買い取ってくれたそうです。
大正12年2月8日、93坪2間3間の古屋を買い取り改造して、待望の刃物工場を開業し、ここに落合刃物工業の第一歩が踏み出されました。そして茶鋏の制作に取り掛かり、枠の取り付け穴や鉄の受け刃の合わせ刃など苦労を重ね工夫をこらし、大正13年には本格的に茶摘鋏の製造販売を行うため新工場を増設し、着々と地歩を固めていきました。
昭和31年カッター式の新案特許を取得し、これに改良を加えて34年3月5日、国立試験場で行われた全国場長会議の実演で注目を集め、落合式茶摘機は一躍全国にその名を知られるようになりました。昭和56年10月8日、西方地内の現在地に全面移転し直ちに操業を開始すると共に、翌年事務所・研究室を建設、さらに59年には組立工場も建設し、茶園に関する摘採や管理にわたる改良をすすめて多くの茶業関係者の賞賛を受けました。
大正時代に始めた茶刈り鋏の製造販売は実に70年余、この道一筋を貫き通してきたのです。
(出典:菊川町50周年記念誌「みのり」)
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