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更新日:2009年11月1日
茶業の発展に代々尽力
三橋四郎次は明治12年、丹野に生まれました。四郎次の父はその一生を通して、経済に茶業に政治にと努力した人でした。
四郎次は32歳で村の議員になったのをスタートに、村長や県会議員を何度も務め、大正13年には衆議院議員になりました。そして昭和15年には多額納税貴族院議員に推薦され当選しました。
このような政治の仕事をする中で、ヨーロッパやアメリカなどに出かけては外国の人たちにたくさんお茶を買ってもらうように努力し、「茶の三橋」と呼ばれるほどでした。
そして、学生時代から硯友社(けんゆうしゃ)という文学を研究する会に入り、紫露草という俳句の会をつくりました。四郎次は『光波子』(こうはし)と号し、俳句集を出版したり、俳句音楽の公演をしたりして活躍しました。
(出典:小笠町社会科副読本「わたしたちの小笠町」)
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