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更新日:2009年11月1日
命を懸けて嶺田用水を建設
小笠北小学校の西、菊川のほとりに井の宮神社という小さな神社があります。嶺田地区を始め多くの人々から「井宮様」とよばれ、信仰を集めています。
でも、普通の神社と少し違うところがあります。それは神様がわたしたちの祖先に当たる「人」であるということです。名前を中条右近太夫といい、今の東嶺田の農民でした。
江戸時代、嶺田地区は水が乏しく日照りの被害にとても困っていました。右近太夫は人々を日照りの苦しみから救うことを決意しました。隣村の奈良渕から水を引こうと計画しましたが、農民は勝手に別の村に行くことは禁じられていました。
右近太夫は罪が及ばないよう家族と別れ、狂人のふりをして高い木に登ったり、他人の家の床下をはいまわったりして土地の測量を行いました。
そして、用水の建設を幕府に直接訴えます。幕府はこの用水建設を認めましたが、当時は領主を飛び越えて幕府に直接訴え出ることを「越訴(おっそ)」といい厳しく禁じていました。そのため右近太夫はその罪のため処刑されました。
こうして実現した嶺田用水により、やせた田畑は豊かな実りを生み、村人たちは長年の苦境から救われ中条右近太夫に深く感謝しました。
(出典:ふる里義人伝 中条右近太夫)
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