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更新日:2024年9月9日
子どもたちに、自分が住む地域に伝わる文化を学ぶ機会を与えることにより、豊かな創造性を養い、あわせて他地区の子どもたちとの交流を図ることを目的として、年1回開催しています。
小学校4〜6年生の7名
元焼き雛保存会会員の方々とボランティアの方々に作成の指導をしていただきました。
小学校1〜3年を対象とした土器づくりとあわせて行いました。
粘土を柔らかくなるまでこねる作業 | 粘土を型に詰める作業 |
粘土を型に詰める作業 |
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型から取り出し、くっつける作業 | 焼く前の作品(第1回終了時点) | 釜で素焼きする作業(第1回終了後) |
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やすりで表面をこする作業 | 色を塗る作業 | 色を塗る作業 |
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完成品の展示 | 完成品の展示 | 完成品の展示 |
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明治の初めごろ、高橋(小笠南地区)に住んでいた高木弥左衛門さんは、お米農家をしていましたが、秋の収穫が終わってから春の田植えまでの時期にできる仕事を探していました。
そこで、近くにあった宝積寺のお坊さんに助けてもらいながら、焼き物作りがさかんな三河地方(今の愛知県)から焼きびなの「型」と「作り方」を教えてもらいました。そして何回も練習して、商品として売れるような人形を作れるようになりました。
人形はひな祭りの節句人形としてとても人気が出て、一番売れた明治時代の中ごろには、東は相良や島田、西は森、袋井、磐田、遠くは水窪のあたりまでお客さんがいました。
その後、昭和の初めごろからは今のような衣装雛がはやるようになったこと、戦争が始まって色付けの材料が手に入りにくくなったことなどから、焼きびなはだんだん作られなくなっていきました。
昭和40年代に、日本各地に郷土玩具(昔から伝わるおもちゃ)の研究をしている「日本雪だるまの会」という団体の調査で、小笠の焼きびなが全国的にとても貴重なものであることがわかり、そのときに「坊ノ谷土人形」と名付けられました。現在では、高木さんの子孫にあたる高木宏さんが人形づくりを受け継いでいらっしゃいます。また、高木宏さんのお父さんに当たる高木亀次郎さんから寄贈していただいた作品が、埋蔵文化財センターどきどきで展示されています。
(参考資料:『静岡の郷土人形』古谷哲之輔/著日本雪だるまの会/発行1996年)
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