ホーム > 潮海寺
ここから本文です。
更新日:2021年11月10日
奈良時代、聖武天皇のころ(およそ750年)名僧行基により開かれたと伝えられる当地方きっての古刹
高野山釈迦文院の直末といわれ、平安時代に坂上田村麻呂の帰依によって寺領が寄進されたといわれています。
往古は寺領3千石、寺域に75坊を数える名刹として知られていましたが、兵火により全焼し、伽藍の規模は残された22の礎石と布目瓦によってしのばれるのみです。
現在、この地には朱塗りの薬師堂金剛院が建てられ、薬師如来縁日の毎月8日午前10時から護摩が焚かれています。
不動明王像が安置されている書院風の学頭坊は、薬師堂の南200メートルほどのところにあり、さらに100メートルほど南に市指定文化財の仁王門があります。
江戸中期に建てられ、平成3年に解体修理が行われた寄棟造りの八脚門の左右には、高さ3メートルほどの寄木造りの仁王像が立っています。
3年に1度、7月下旬に3日間行われる「潮海寺八坂神社祇園祭り」では市の無形民俗文化財に指定されている「潮海寺祇園おはやし」に合わせて、屋台がこの仁王像の石段を下りまた上がります。
今でも塩水が湧き出るといわれる「潮井戸(塩井戸)」への参拝を含め、平安時代から疫病退散と五穀豊穣を願う農神祭が、今もつづけられています。
(潮海寺祇園まつりのリーフレットは、こちらからダウンロードできます。)
よくある質問と回答
PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Acrobat Readerが必要です。Adobe Acrobat Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先から無料ダウンロードしてください。
お問い合わせ
フィードバック
© Kikugawa City. All Rights Reserved.