菊川市

みどり次世代 ~人と緑・産業が未来を育むまち~

本文へジャンプします。

  • サイトマップ
  • ご意見・お問い合わせ
  • English
  • Português
  • 한국어
  • 簡体字

文字サイズ
拡大
縮小

色の変更

  • ホーム
  • くらし
  • 子育て・教育
  • 健康・福祉
  • 産業・仕事
  • 市政情報
  • 組織から探す
  • よくある質問

ホーム > 市政情報 > 市の概要 > 偉人・先人 > 三浦刑部・浅右衛門・勘右衛門

市政情報

  • 市の概要
  • 市役所案内
  • 広報・広聴
  • ふるさと納税
  • 入札・契約
  • 市長のページ
  • 統計
  • 菊川市例規集
  • 財政・予算・決算
  • 行財政改革
  • 監査
  • 情報公開
  • 電子申請
  • 職員採用 
  • 市の施策・計画
  • 選挙
  • 市民参加・多文化共生
  • 人権・男女共同参画
  • 交流
  • パブリックコメント
  • 人事行政 

ここから本文です。

更新日:2012年1月13日

三浦刑部・浅右衛門・勘右衛門

加茂井水生みの親・三浦刑部とその親子

今川義元の武将であった三浦刑部は永禄3年(1560年)、義元が桶狭間の戦いに敗れた後、清水の里に潜んでいたが武士をやめ、百姓になろうと決意して二人の息子と共に当地に住みついたといわれています。ところが加茂村は菊川と西方川に囲まれているものの川床が低く、その水を米作りや生活に利用することはできなかったのです。

そこで刑部は菊川の上流から水を引くことはできないかと考えました。その場所は潮海寺村までさかのぼらなければなりません。そこに堰を設け水路を掘って加茂村まで水を導いてこなければならないのです。ところが途中、本所村と半済村とがあり、潮海寺村と合わせてすべて領主が違い無断で他領に入ることなど許されるものではありません。言い伝えによるとここで刑部は狂人のふりをしてふらふらと歩き回ったり、凧を揚げわざと糸を切って追いかけたりしながら地形を調べ測量したというのです。このような苦労の末、領主への願いが届けられ、天正9年(1581年)用水路工事に着工し、13年の歳月を経た文禄3年ようやく宿願かなって完成を見たのです。ところが、刑部はこの喜びを味わうこともできず工事の途中亡くなってしまいました。その後を遺児である浅右衛門と勘右衛門兄弟が力を合わせ完工に漕ぎ着けたのでした。加茂村に昔から言い伝えられていた「嫁にやるなら加茂へはおよし、加茂はひばりの遊びどこ」とまで言われていた荒地に水が導かれ、水田が拓かれ、大勢の人が集まり、嶺田三千石、加茂二千石と、この界隈で二番目に多くの米が獲れる村になったのです。

(出典:菊川町50周年記念誌「みのり」)


 

 

お問い合わせ

部署名:菊川市総務企画部企画政策課

電話:(0537)35-0924

ファックス:(0537)35-2117

フィードバック

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?

ページの先頭へ戻る

  • 著作権について
  • リンクについて
  • アクセシビリティについて
  • 個人情報保護について
菊川市役所 〒439-8650 静岡県菊川市堀之内61 電話番号:0537-35-2111
開庁時間:平日午前8時15分から午後5時まで 市役所案内

© Kikugawa City. All Rights Reserved.